変わるのは悪くない、変わって当たり前。

こんにちは、小野寺慎太郎です。
 
あなたもこんなことを聞いたことがあるかもしれません。
 
「忙しいという言葉は心を亡くすと書く。だから言わないほうがいい」
この言葉をあなたはどう思いますか?
 
なるほど!と思うならそれに越したことはないです。他人の意見を素直に受容できるというのは重要なスキルの一つだと個人的には思います。
 
ですが僕は悲しいことにこの言葉に納得できません。
だって忙しい時って心が生き生きするんですよ、僕。
のんびりが好きな人も、もちろんいますが、忙しい生活が大好きな人も多くいます。
 
 
あと「忘れる」っていう言葉も字面としては心を亡くしてますよね。
なんならこっちのほうがわかりやすく心を亡くしてます。
上から読んだら、忘れる心。って倒置法ですからね。
でも別に何を忘れたって心なんて死んでないじゃないですか。
恩師の命日とかね、単位の取ることとかね。結構忘れますよね。
むしろ忘れたほうが楽なことも多いかもしれません。トラウマとか。
僕は前の彼女に言われた悪口とか、いとこの結婚式で飲みすぎて小野寺エキスを吐き散らかしたこととか、全然忘れてませんが思い出すたびに、
心がお亡くなりになるのを感じます。
 
 
脱線しかしてませんが、言いたいのは昔の習慣や常識に従うことは重要でない。ってことです。
例えば今話したような漢字。これの発祥は3300年前です。くそ昔です。
イエスキリストもこの時はまだ愛とか語れません。生まれてませんから。
そんな昔思いついた様なことに振り回されても意味がないかもしれない。
 
人間の進歩は分進秒歩です。一瞬前とは全くの別世界です。
そんな時代に変わることを恐れてどうしますか。
釈迦も現代にタイムスリップしたら
諸行無常。とは言ったものの、、、世の中かわりすぎじゃない?」って言いますね。
それくらい物事は変わりまくってます。
 
誰だって変わる自由を持っています。変わりたい時が変わり時か。